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瀬戸内寂聴

凡下の人間(すぐれた点の無い、平凡な人)名刹(古くから有り、高名な僧が代々そこに住んだ寺。)ひとりの聞いてくれなくても辻で話を続けるのが僧の修行です。「そのとき私は祈ることを自然に教えられました。自然にといいましたが、私がそのことで死ぬほど苦しみ、どうしたらいいか迷い、もとめたからだと思います。私は自分の力に対する自信を一度捨てきり、仏に自分をゆだねました。自分をおまかせしてしまったのです。~何か、自分の意にそわないことが起こるたび、それまでは、ぎりぎり、腹をたてて、くやしがったり、恨んだりしていたのですが、一度自分を投げ出してしまうと、そんな時も、「ああ、今はこういう目にあうことが、さきにいいように展開する廻り道か、布石なんだろうな」と思うようになったのです。「こんなに任せきっているのだから、仏さまが私に対して悪くはからって下さるはずはない。この問題を一つずつ解決してゆけばいいのだろう」と、こういうように考えが変わりました。~観音経をあげます。どうしていいかわかりません、と心につぶやくだけで、別にどうして下さいとはお願いしません。何とかして下さるだろうと思うだけです。お経をあげているうちに心が落ちつき、さっきまではどうしようもなかったことを、ふっと別の角度から見る心のゆとりが生まれてきます。すると、困難なことを、きりぬける道が自然に示されてくるのです。人の心を恨んだり、怒ったりしている時も、そうして祈っているうち、心が静まり、相手の立場が見えてきます。」ここの部分は長々と引用してしまいましたが、とても参考になる部分でしたので、すみません。悩みは一度そこから離れてみるというのが、解決の方法なのかもしれません。寂聴さんはお経をあげることで、そこから離れることができるといいます。禅などもすべてのことにとらわれないということという意味では似通っているのでしょうか?